福井市明新
バウンドテニスクラブ

クラブの紹介
≪令和2年4月現在≫

所在地 福井市明新地区
練習日 明新小学校体育館毎週月、土曜日 夜7時から9時まで
新入部員随時募集中!
年齢、性別、運動神経は問いません。

2年度 役員

  部  長  西岡 法男
  副部長  宮前 信也   橋口 幸子  中宮春美  和田宏子
  会  計  濱口三奈子
  顧  問  為国  正   岡崎幸誠
   岡崎朝蔵


クラブ員プロフイール バウンド歴
※「バウンドテニス暦OO年の思い出」は部創立20周年の時に書かれたものを記録しておきました。

1)O岡崎幸誠
  生年月日 昭和34年4月6日  バウンド暦 34年  (発足以来)
  22年度〜 顧問
  初代部長(昭和62年〜3年)   7代目部長(18年〜19年)
  初代部長(5年間)、明新クラブの基礎作りに精励。建設的なリーダー
  温厚な人柄と物事に対する的確な判断処置で部員の全幅の信頼を得ている。
  クラブ活性化を目指して7代目部長に選任される。クラブ発足20周年記念行事を成功裡に成し遂げた。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
あっという間の20年、思い出にひたっている余裕はない。

第5回全日本選手権大会に堀川さんと出場できたのが28歳の時結婚する1カ月前でした・・・無残な負けでしたが、今でも忘れることのできないすばらしい思い出です。 
 又、一方ではクラブの深刻な悩みも浮上してきております。一時は40名を超えるクラブ員がおりましたが、現在は発足当時と変わらない25名。若手新人の入会がほとんどなく、高齢化が進んでおります。競技スポーツと生涯スポーツの両立やクラブ内での活動の活性化等改革していかなくてはいけないことが山のようにあります。
 今回、2度目の部長をお引き受けし、発足当時の4〜5倍の各種大会が開催されており、今一度自分のクラブの足元を見つめなおしクラブ員のために何をしたらいいのかじっくり考えていくつもりです。微力ではありますが一生懸命がんばりますので、クラブの皆様ぜひ応援してくださいネ。



2)O為国 正
  生年月日 昭和10年2月12日  バウンド暦 40年
  日本協会名誉公認コーチ、同公認上級審判員   現 クラブ顧問

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
明新バウンドテニスクラブ誕生

私がバウンドテニスと出合ったのは24年前の昭和57年(47歳)福井市教育委員会へスポーツ主事として派遣されていた時。新しいスポーツを地区の皆さんに紹介・指導していくのがその時の私の仕事だった。
見るスポーツから自らが行うスポーツへとの転換期でニュースポーツがあちこちで200以上も出て来た。そんな中でソフトテニスを学生時代にしていたのが幸いしたのかバウンドテニスが一番好きになれそうで雪国の福井で出来る最もふさわしいニュースポーツと直感した。
体育指導委員を対象に実技研修を重ねながら松本地区、中藤地区、大野市でほぼ同時にクラブ化に成功した。次いで森田,東郷,湊,和田各地区にも次々とクラブが出来た。4年目の昭和61年啓蒙、酒生に次いで漸く明新地区でもクラブが誕生した。若者が多くいた。それらクラブ員の若い情熱が爆発し以後バウンドテニス王国を築いていった。その時のメンバーが岡崎、片岡、黒川、堀川、池田、為国清、徳山、藤田は今でも健在だ。


O堀川幸博・・・・退部(令和1年)
  生年月日 昭和30年10月15日  バウンド暦 34年 (発足以来) 
  22年度 部長(9代目)
  3代目部長(9〜11年)、  日本協会公認指導員、日本協会公認審判員
  第18回全国大会フリー男子ダブルス選手権大会優勝 八木:(清明)と。
  子供会の世話のためバウンドテニスを冬眠していたが、自由の身となり18年度は
  復帰。ミドルの頂点を目指す。明新クラブでは実力NO1.
  運動神経抜群、神経こまやか、一本気。皆に好かれる。
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
≪バウンドテニスと仲間との出会い≫ 

バウンドテニスを始めて今年で20年目を迎えるにあたり沢山の人との出会いが合った。講習会での為国先生との出会いは自分をバウンドテニスの世界に引き込まれていった。今でも思い出す先生の言葉、ガンバッて練習すれば全国大会出場も夢ではない。それを目標のガンバッた。運良くその年の春の市BT大会で岡崎部長とWで2位に、秋の大会では3位になり協会推薦でその年の11月第5回全国大会に出場することが出来ました。その後は池内さんと組み県BT選手権の第一、二回大会で二連覇をして第7回全国大会でベスト8まで、平成5ねんには円山クラブの武田さんとのWで県大会2位で全国大会へ、そしてバウンドテニス人生において最高のパートナー清明の八木さんとの出会い、平成12年7月の第18回大会で、まさかの全国優勝、夢にまで見た表彰台の最高位に上れて最高に感動した。その後はしばらくは遠のいていた全国大会へ我がクラブ、そして私のバウンド20周年を迎える今年、初めてWを組んだ岡崎さんと出場、無欲でのプレーが優勝を引き寄せ4年振りの全国大会出場が決定した。長いようでアッと言う間の20年、出会ってきた仲間に感謝、そしてこれからもバウンドを楽しみながらガンバッテ続けて生きます  


4)O岡崎朝蔵
  生年月日 若い  バウンド暦 18   16〜 副部長
  22年度 副部長 23年度より11代目部長
  家業の傍らスポーツ少年団のバスケットクラブの指導をしていて、父母
  たちから高い信頼を得ている。
  バウンドテニスもストローク(バックハンド)がきれいで短期間の間に着実に力を伸ばした。
  真面目であり,物事に熱心。将来の明新クラブを背負う人。
  全国大会福井県予選で見事優勝で通過(18年度)。おめでとう。
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
個人競技
バウンドテニスを始める前は、主に団体競技をしていました。皆で助け合いながら楽しく、そしてチャンピオンスポーツとして頑張って来ました。4年前に、市民大会でバウンドテニスの試合を見て、面白そう、やってみたいなと思いクラブに入りました。昔、硬式テニスをしたことがありましたが、とても難しい競技でした。なかなか上達しなくて、未だにホアハンドとサービス病に悩み続けています。サーブ病が直ったら、試合に出ようと思いながら3年が過ぎ、とにかく試合にでて恥じをかくしかないと思い、今年から本格的に試合に出始めました。シングルスで初めての1勝。緊張のあまりスコアのサインが書けませんでした。勝っても負けても、全て自分の責任、努力したらしただけ結果となって返ってくる。今、完璧にバウンドテニスにはまっています。そしてダブルスでも初めての勝利。これからも、もっと上を目指して楽しく練習をしていきます。

5)O西岡 法男
  生年月日 昭和 年 月 日  バウンド暦 12年
  クラブ男性で一番若く、瞬く間に実力をつけてきた
  荒いがサーバは抜群 全国大会を狙える

6)O宮前 信也
  生年月日 昭和 年 月 日  22年度新入部 バウンド歴 11
  請われて福井市の常任理事を勤める。
  体力がありよく動く。ボレーがうまく大会にも出場できるようになった 期待が持てる。
 皆に親切に指導している


O佐藤 信一
  生年月日 昭和 年 月 日  バウンド暦 13年
  人柄がよくみんなに親しまれている

O山口 正弘・・・・・退部(令和1年)
  生年月日 昭和 年 月 日  22年度新入部 バウンド歴 11年
 熱心に取り組んでおり急激に力をつけてきた 運動の感がよく飲み込みも早い

○山室 徹・・・・・退部平成30年)
  生年月日             25年度入部  バウンド歴8年
 スポーツ万能 高齢だが元気に練習に励む

〇前川 俊一・・・・・退部(令和1ねん)
  生年月日   平成28年5月入部 バウンド歴 5年
 テーマ  ≪明新バウンドテニスと私≫
体験教室に中学生の眞一と二人で参加したのがきっかけでした。
初めは2時間の練習の半ばで息があがり体力不足を実感しました。そこでジョギングを週1日ほどから
始め、続けるうちに10月・福井マラソンに初参加、5キロを完走して体力的に少し自信が持てるように
なりました。練習では強く打ってオーバー、いれようとして凡ミスなど、全体的にスピード感があるだけに
バランスやコントロールが難しく、そこに奥深さを感じます。次はああしようこうしようと考え、日々試行錯誤です。
「明新バウンドテニスに参加してもう〇年経つんだ」と思う日が何年か後にきっとやってくるのでしょう。
それくらい今日まであっという間でした。明新バウンドテニスの皆さんのこれまでのご指導に感謝しつつ、自分も
これから入ってくる方のサポートが少しでも出来るようになれたらと思います。これからもよろしくお願いします


O為国清子
  バウンド暦 30年 (発足以来)
  22年度 副部長 
  日本協会公認指導員、同公認上級審判員
  第18回全国大会シニア女子ダブルスベスト8
  第21回全国大会シニア女子シングルス優勝で出場権獲得
  練習熱心で、うまいボレーに益々磨きがかかってきた。
  嫌な事,言い難いこともさりげなく言ったりしてクラブの調和を図っている
  女番頭的存在。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
私の夢

先ずはこの20年、バウンドテニスを続けてこられて本当に良かったと思う。始めた頃には県内の大会には出場したが、この頃では県外の大会によく出かけるようになった。今一番の楽しみはゴールド大会(60才以上の全国大会)が毎年所を替えて開催されることである。近々では第9回大会が平成18年3月に熊本市で開催された。その時、福岡から大分(別府地獄めぐり、湯布院の街並み散策),県境の小国町の温泉で前泊して熊本市(2日間競技大会で3日目は皆で熊本市の観光)へといった具合である。19年は北海道で開催される小Tが決まっている。楽しみである。また、全国の70才以上の者が集う「宝寿はつらつ大会」も第2回大会が18年10月に奈良県で開催される。今年から参加資格を得たので元気に参加したいと思っている。その度にその土地の名所観光ができるのが何よりも楽しくバウンドを続けてきたご褒美と思っている。今後更に健康に注意してあと10年はバウンドテニスを続けていくのが目標であり「私の夢」である。



O柳下千代子・・・・・・退部(令和1年)
  バウンド暦 22年
  シニア女子では福井県第一人者で いろんな大会でも上位入賞を常時
  果たしている。
  頭脳明晰、協調性があり信望が厚い。性格は明るく周囲の雰囲気をも
  明るくする。
  練習熱心で技術は衰えを見せない
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
私とバウンドテニス
私も早いものでバウンドテニスを始めて13年目になります。始めた頃は全国大会が夢の夢でした。でも一度は行ってみたい思いがありました。3年目に出場権を得て6年連続で出場しました。あの感動は忘れることが出来ません。これもクラブの皆さん、パートナーの為国さんのお陰と感謝しております。今はバウンドテニスが生活の一部になっております。月曜日にはおにぎり持参で、水曜日は昼から夕方まで北体育館で練習、土曜日はクラブのれんしゅうに汗を流しております。練習により家族に迷惑をかけないようにしています。県外で開催される各大会に為国先生にご一緒させていただき沢山の人と知り合えたことが私の財産になっています。昨年、宝寿はつらつ大会に79歳の方が来られました。私も来年は古希を迎えます。体力、技ともに衰えていますが、あと10年は続けたい気持ちです。これからも素晴らしい仲間たちとともにバウンドテニスを楽しく続けたいと思います。

O井上順子・・・・・・退部(令和1年)
  バウンド暦 21年
  日本協会公認審判員  
  練習熱心で力をつけて来た。ストローク(特にバックハンド)には自信を
  持っており他の模範になっている。
  性格は真面目で素直、協調性ががあり、行き届いた気配りなどは誰も
  真似が出来ない。
  誰からも好かれていてクラブにはいなくてはならない人。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
私とバウンドテニス

私にとってバウンドテニスとは?運動する以前の頃は、背骨のゆがみの為に背中が痛み、それを治すのに背筋を付ける丁度良い運動かと思い、それまでスポーツには縁の無かった私にスポーツの素晴らしさ、楽しさ、面白さを教えてくれた運動です。ラケットにボールが当たらなかった最初のころ、半年我慢しなさいと言う徳山先生の丁寧な教えに出会い、明新クラブに入ってからは、バウンドテニスに真摯にむかう為国先生の姿に感動し、又真心こもった教えに出会い、そしてクラブの素晴らしい仲間に出会えてとても幸せです。子育てを終えた第二の人生に、このような楽しい時を与えてくれたバウンドテニスとクラブの人達と家族に大変感謝しています。後何年出来るか分かりませんが体の続く限りプレーしたいと思っています。

O古市文恵
 バウンド暦 26年
  日本協会公認審判員
  第20回全国大会フリー女子シングルス選手権者
  第21回フリー女子ダブルス 4位 宮前(木田)
  第22回同          16位  同
  第23回同           2位  同
  第24回
  第25回
  第26回ミドル女子ダブルス 2位
  第27回ミドル女子ダブルス 2位 土田(東安居)
  第28回
  第29回ミドル女子シングルス4位
  第30回ミドル女子シングルス 第3位
  第31回ミドル女子シングルス 第2位
  第32回ミドル女子ダブルス 優勝(北田)
       ミドル女子シングルス 第2位
  第33回

  ストローク、ボレー共に天下一品、他の追従を許さない。しばらく古市の
  時代が続くことは間違いない。
  明るい性格で人にもやさしい。冗談めかして本音を言うところなど憎め
  ない。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 ≪
今の気・持・ち

主人と結婚し、明新地区に。そして素晴らしいクラブに出会えて、早いもので16年。幼稚園児だった長男は今年成人式を迎え、長女に至っては結婚し、もうすぐ私はおばあちゃん??自分では始めた頃の30代のつもりが、白髪は増え気力体力も落ち歯がゆい思いをする今日この頃です。明新クラブはバウンドの実力はもとより、老若男女がお互い尊重し、助け合いながらまとまりNO1のチームだと自負します。団体戦ではチーム一丸となって戦い、常に上位入賞。個人でも毎年全国に出場。これも部長初め発足時からいるメンバーのおかげ、自分の事よりクラブの為に頑張っている仲間に頭が下がります。自分的には全国でも優勝し、まあまあ成績は残っていますが、副部長の肩書きがありながらなかなか練習も行けず皆さんに迷惑をおかけしています。


O藤田清美
 
  バウンド暦 30年 (発足以来) 日本協会公認審判員
  福井市協会事務局
  ボレーは確実なのだがストロークを少々乱し、いま一歩のところで足踏
  みしている
  思いやりがありやさしいが曲がったことは許さない。宴会世話係は彼
  女の右に出る者はいない。皆が頼りにしている

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
仲間

ど素人の私達を熱心に教えてくれましたねぇ  為国先生

いつもさりげなくホローしてくれましたねぇ  奥さん

初代部長でチームをまとめてくれましたねぇ  岡嵜さん

始めた頃は貴重な20代選手だったんだよねぇ   徳ちゃん

休部もしたけど復活して来てくれましたねぇ  池田さん

若い時から年上相手に我慢してくれたよねぇ  片ピー

個人競技だけど団体戦には燃えましたよねぇ  掘ちゃん

明新クラブになくてはならない存在だよねぇ  登ちゃん

昔を懐かしんでるのは私だけなのかしらねぇ  わたし

以上9人が発足時から一緒にがんばって来た仲間です。「打倒!森田」でがんばっていた20年前「福井に明新あり」と名を広め始めた10年前。「明新にシニアあり」とシニアががんばっている現在。明新のクラブの様子も色々変わってきたけれど、皆な楽しいチームメイト!いつまでも良き仲間でいようね!明新クラブ バンザーイ!!

O和田宏子 
  バウンド暦 22年
  市理事
  ストローク、ボレーは上手い。サーブが決まらず苦戦することがある。
  ラケットを立てて前で打つからだと思う。ストロークの打ち方と同じ方法
  でサーブを出せばきっと克服出来る筈。
  いつもにこにこと笑顔を絶やさず熱心な練習態度は好感を持たれてい
  る。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
BTと私

初めてBTと出合ったのは子育てが一段落したころ町内を回っていた回覧版でした。卓球と違って自分の思うところにボールは飛びませんでした。でも仲間がいて飛び跳ねていると時が経つのも忘れてしまいました。流れる汗は気持ちのいいものでした。だけど、時が経ちなれるにしたがってどうしてもサーブが入らなくなってしまいました。レシーブ、ボレーはどうにか出来る様になりましたがサーブだけはどうにもならなくなってしまいました。練習では入るのですがいざ、試合になると本当に入らなくなるのです。ダブルスでは相方に大変迷惑を掛けてきました。クラブの皆に立ち方、足の出し方ボールのだし方、いろいろ真剣に教えていただきやっとこの頃入るようになってきました。少々体が辛くても痛いところがあろうとも練習に出かけると言うと家族があきれています。だけどそれだけBTに魅力があるのだと思っています。これからも体が続くかぎりガンバッていきたいと思っています。

O橋口幸子  
  バウンド暦 20年 
  22年度〜 副部長
  市、県の大会で2位3位と入賞をするようになった
  カット気味のストロークがコントロールよく入るようになった。ボレーが
  立ちボレーなのにラケットのヘッドが下に来過ぎ(立てている)ているの
  で、鋭いボレーは見込めないのが残念。いろんな大会に積極的に出る
  ようになり見る見る力を付けて来た。
  物静かで冷静に物事を判断するので信頼されている。練習には早く来て
  コートの準備等を進んでする。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
≪有難う≫

明新バウンドの20周年記念という大きなイベントに参加することが出来大変うれしく思います。私にとっても明新バウンドで約9年の歳月が経ち思い出も多く私の歴史の中に深くきざまれる1ページとなっています。バウンドの初日と言うのはとても印象深く、人数の多さと練習風景の威圧感に飲み込まれ、まして小心者の私には自分からコートに入る勇気もなく、ひたすら優しい掛け声を待つばかりで、「橋口さん」と名まえを呼ばれるとどんなに心弾んだことか。そんなありがたい掛け声に助けられて2年間ほど、そのうちにペアも組ませて貰い、大会や試合等にも参加し、他のクラブの人とも話をするようになり、一人一人の言葉が気持ちの沈んでいる時には栄養ドリンクとなります。お陰さまで今までにバウンドが嫌になったことがなく今でも魅力的で、私にとって有意義な時間を過させてくれて、ひょっともして生活の一部ともなっている大切なスポーツ友達であります


O中宮春美  
  バウンド暦 18年  日本協会公認審判員
  22年度 会計
  球にスピードが出てきて技術的には大きな進歩を見せている。特にサ
  ービスは見事で自信もつけて来た。膝を曲げてボールのコントロール
  が出来れば更に上達すると思われる。練習熱心で将来有望選手の
  一人。
  機転が利き判断が早く物事の処理がてきぱきとしている。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
勝つことの喜び

市民大会の事です。前日からの夜勤明けで、会場の大東中学へ向かい、1回戦が始まった頃に着いた私は、2回戦から参加させていただきました。相棒は大先輩の徳山さんです。6人のメンバーの中で最も下手な自分は、先輩の足を引っ張らないよう、繋げていく事だけに気をつけて試合に望みました。先輩が拾ってくれる。ボレーを決めてくれる。という安心感から心にもゆとりが出来大きな声でカウントを確認したり、ボレーを決めて下さった時には大声で喜び合ったり、個人戦では味わえない雰囲気を団体戦で感じました。その後もペアは変わらず3回戦、決勝へと駒を進めて行きました。決勝は全試合一斉にゲームが開始される中、チェンジコートの時に隣のコートからカウウントに耳を傾けている冷静な(さめた)自分がいました。そのゲームも勝ち、私は試合に勝つ喜びと団体戦特有の雰囲気を味わう事が出来ました。


O奥谷由美子 
  バウンド暦 13年
  22年度 会計
  ストロークが良くて実力を伸ばしてきた。確実性を身に付ければ上位間違いなし。期待大。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
今まで そして これから

20周年おめでとうございます。私がひょんな事からバウンドテニスと出会い、訳も分からずこのクラブに飛び込んで早や2年半!!恐いモン知らずとはよく言ったもので、今ではとんでもない所へ来てしまったと言う思いでイッパイです。県大会でもトップクラス、それどころか全国クラスの人達があちこちに・・・。ですが、いつも自分の都合の良い様に解釈するノーテンキな私は、こんなにラッキー!!な事はない、この人達にイロイロ教えてもらえばいいんやわと思うようになりました。これから少しでもレベルアップ出来る様に頑張りたいと思ってます。皆さん、よろしく!!  

O前川加代子・・・・・・退部(令和1年)

  バウンド暦 16年
  ストロークがよくて最近コントロールも良くなった。ボレーに出られると力が入りミスをする。
  楽しみながら行っている。対外試合にも出かけるようになりバウンドにはまりかけている。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
感激した優勝トロフィ
私にもバウンドテニスの競技会での優勝トロフィがあります。私がバウンドテニスを始めたのは1998年5月頃だったと思います。始めたばかりの私が公式戦に出たのは敦賀工業高校で行われたスポーツレクレーションでその時は何が何だか解からない内に終わっていました。これではいけないとその年 第11回福井県選手権大会シニア女子ダブルス戦で柳下さんとペアで優勝した感激のトロフィは私の宝です。20年していたバトミントンとはシャトルとボールが変わるだけと気軽に始めたのですが思うようにいかず散々でした。でもクラブの仲間の皆さんに助けられて今日に至りました。これからも頑張ります。宜しくお願い致します。


O後藤裕子  バウンド歴 5年
 バウンド歴 28年入部

OM口三奈子  バウンド歴 4年
 バウンド歴 29年入部

退部された方のバウンド歴は退部されるときまでの期間

O堀江 賢止
  生年月日 昭和6年9月8日  バウンド暦 23年  5代目部長(平成14、15年)
  市協会理事、県協会常任理事、日本協会公認上級指導員、同上級審判員
  ボレーは見事で他の追従を許さない。最近ストロークにも自信を持ってきた
  謹厳実直、責任感旺盛、緻密な仕事も見事に果たす。部員から満幅の信頼あり。
  マレットゴルフ、グランドゴルフも一流の腕前を発揮している。
  18年度から請われて明新クラブの姉妹クラブ、マーガレットクラブの部長となる。

※バウンドテニス暦17年の思い出
 
≪有難う バウンドテニスとの巡り合い≫

 バウンドテニスとの初出会いは、第二の職場を退職し何かしなければ心身とも老化が進むと悩んでいた矢先、地区の小学校でバウンドテニスの初心者教室があることを知らされ、また近所の方からの勧めもあって参加しました。ところが教室に集ってきた連中は、当然ながら近所の顔見知りの人達ばかり、毎回「ワイワイガヤガヤ」と楽しく続けることが出来ました。
 始めた当初はまだ体力もあり精神力も旺盛で抵抗なく入れたのですが、やるにしたがってその奥行きの深さと難しさを痛感、経験年数の割りには上手になりません。現況はねんりんの増加で足腰に痛みを感じるようになり競技スポーツは無理としても、元気でいるうちは生涯スポーツとしてやっていければよいと思っています。また、昨年発足した70才以上参加の「宝寿はつらつ」それに「ゴールド」大会と県内外に出かけ、同士の仲間と友情の輪を広げ会話と観光を楽しんでいます。

O篠田策太郎(退部)・・・ご逝去(令和2年)
  生年月日 昭和7年3月14日  バウンド暦  15年 目の手術のため18年度休部
  責任感旺盛、人格円満,協調性あり

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
生涯スポーツとしてのバウンドテニス≫
「生涯スポーツ」として取り組んでから、年数を経て現在に至っておりますが、初めは簡単だなと思い続けておりましたが、レシーブのコントロールに悩みながらの毎日でしたが、なにぶん体に欠陥が多く、何かと練習も休みがちでクラブの皆様には迷惑を掛けどうしですが、いつも温かい言葉を受けながら頑張っておりますのが私の今の現状です。
バウンドテニスの思い出としては、今でも記憶に残るのはだい15回市民大会シニア男子ダブルスでパートナーの白石さんと組ませていただき準優勝できたのが、恐らく私の記憶には生涯の思い出として残るでしょう。白石さんには迷惑の掛けとおしでした。感謝の気持ちで一杯です。

O片岡宏暢(退部)
  生年月日 昭和40年8月25日 バウンド暦 23年 (発足以来) 
  6代目部長(16、17年)
  高い技術を持つ実力者、常時県大会上位入賞
  21回全国大会県予選フリー男子ダブルス優勝で全国大会出場権獲得
  お茶目で陽気。
  仕事の関係で目下休部中 市の大会などには頼んで出て貰う事あり。
 
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
≪思い出の東京体育館≫
 20年間の記憶の一途をたどっていくと、思い出されるのが、全国大会です。
 初めての東京体育館、初めての試合、どれをとっても緊張の連続で胸の鼓動はドキドキ目先はクラクラ負けそう負けそう(ピンクレディのサウスポーです)そんな感じで試合に臨んだわけですが自分達の力を出し切れず一回戦没でした。
 バウンドテニスの怖さを身に感じ「今度はやったろう」「次は自分達の実力を見せてやろう」と堅く誓い思いっきり飲みました。(次の日えらいことえらいこと・・・)
 そんな思いをばねにし今までバウンドテニスをやらして貰っていますが、素晴らしい相棒に恵まれ素晴らしい仲間達に会えて今の自分があると思います。
 これからも体力の続く限りバウンドテニスを続けていこうと思います。自分を支えてくれたクラブ員の人達に感謝いたします。

O黒川 登
  生年月日 昭和27年5月15日  バウンド暦 28年 (発足以来)
  2代目部長(4〜8年)  
  不言実行、質実穏健、フオアハンドストロークは美形。
  仕事の関係で日曜日開催の行事に参加出来ないのがクラブとして残念。定年退職後に期待。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
バウンドテニスに出会って

バウンドテニスに出会って20年 30歳過ぎで初めて 若いと思っていても50歳を過ぎてしまいました。明新クラブの方を初め多くの方と出会い知り合えた事が一番だと思っています。なかなか大会には出れませんが、市民大会や団体戦の後の祝勝会で皆と飲む一杯は最高です。早く体を治して思いって汗をかき練習が出来る様にしたいと思います。これからも宜しくお願いします。

明新クラブ バウンドテニス バンザイ!!



O白石光信(退部)・・・転勤
  生年月日 昭和28年1月19日  バウンド暦 14年 4代目部長(12〜16年) 
  日本協会公認審判員
  福井大学教授、クラブ一のインテリ、囲碁五段。
  頭脳明晰、気性やさしく穏健
  大学の合併(福井医学部と福井大学)のため休部

  平成22年 広島県へ転勤

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
≪≫ 

O西岡勝治(ご逝去)22年
  生年月日 昭和17年5月8日  バウンド暦 19年
  22年度 副部長
  日本協会公認指導員、同公認審判員
  生真面目、実直。声が大きく物事を仕切るのがうまい
辛口だが正論を言って下さり私はよく助けられた。
  平成23年10月 急逝去 ご冥福をお祈りします。
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
ラリーの楽しさをこれからも・・・・

15年前 バウンドテニス教室で初めて習って面白く楽しいスポーツだと思い入部した。部の皆さんはとても親切で楽しく、男女仲良く共に練習できるのが楽しみです。大会が沢山あり、大勢の人と交流が出来いろんな所へ行けるのも楽しみです。今はなかなか大会に出られませんができるだけ参加したいです。
2年目に平成5年第6回県選手権大会で、シニア男子ダブルスで、為国先生と組んで2位になったのが最高です。8年に第9日選手権大会からミドルの部が出来、その時、高木さんと組んで見事2位になったのも思い出です。その頃はあっちこっちに出ていたので一番勢いがあった頃です。
8年の北信越ブロック大会(新潟県)と9年の長野県での2年連続でBTラリーでの優勝が思い出されます。毎回の練習ではボレーで決めるのではなく長くラリーを続けるのが楽しみですので宜しくお願いします。


O高木 進 (退部)
  生年月日 昭和24年3月2日  バウンド暦 15年
  気性穏健、不言実行、努力家でアイデアマン。仕事多忙のため練習
  時間が少ないのが惜しい。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
≪1+1=3?≫

1+1=3 それとも1? どちらも正解 それがダブルス。コンビがうまくかみ合えば予想以上の力を発揮することもあれば、まったっく力を発揮出来ず敗退することもある。それがダブルスとか団体競技だと思う。足し算以上の力を発揮するには日頃の練習以外にないと思う。
明新バウンドテニスクラブの仲間に加えて頂き12年が過ぎた。卓球、テニス等の競技経験が全く無い私にも親身な指導と気兼ねなく練習できる場が与えられ、この間に市、県の大会で優勝、全国大会出場等等の楽しい経験をさせていただくことが出来た。これはひとえに素晴らしい仲間、得難いダブルスのパ―トナーに恵まれた為だと感謝している。練習はしょちゅう休む、大会にも殆ど参加せずクラブに全く貢献していない今の自分。以前に比べ自由になる時間は少ないが、少しでも多く練習・大会に参加する事でクラブが活発化する様心がけたい。



O戸田忠勝(退部)
  生年月日 昭和18年7月19日  バウンド暦 15年
  威張らず欲張らず皆とよく協調している。バウンドテニスでスポーツの難しさと楽しさ味わっているとか(10周年記念時の抱負)
  仕事の関係で月曜日の練習しか出来ない
  夜勤務のため休部

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
バウンドテニスの思い出

私は、スポーツ観戦は好きですが、する事については、興味は有りませんでした。50歳を過ぎた頃から健康診断で体を動かす様アドバイスがありました。これが動機となりバウンドテニスへの入部となり、約10年が過ぎ現在に至っております。最初の頃は不安も有りましたが、諸先輩の暖かい御指導により今日迄楽しく練習に参加出来、又各大会へとも何度か参加しましたが、特に上位に入賞した大会は思い出として残っております。これからも、健康に心掛け無理をせず、楽しく練習に励みたいと思っております。


O土屋紀和(日新へ移籍)
  生年月日 昭和16年2月11日  バウンド暦 8年
  日本協会公認審判員  市協会常任理事
  14年、16年、18年 シニア男子シングルス県選手権者
  15年全国大会シニア男子の部シングルス,およびダブルス(為国と)で2位
  17年同3位。
  練習時間の豊富さはおそらく日本一(週6日17時間〜20時間)

※バウンドテニス暦4年の思い出
 
≪ドップリはまったバウンドテニス≫
 健康のためにと別のスポーツを60才で久し振りに始めたとき、たまたま同じ体育館でバウンドテニスが行なわれていた。
 その時、初心者教室に誘われたのがバウンドテニスとの出会いであった。
 その年間違って福井県の予選を通過し全日本バウンドテニス選手権大会に出場出来たため、県外にバウンドテニスを通じて多くの友人が出来た。
 その人たちとの出会いが私をすっかりバウンドテニス無しでは一日が終わらない状態にさせてしまった。
 時々私自身こんなに疲れるまで練習するのかなと自問自答するのだが、次の日にはまた体育館へいそいそと練習に出かける毎日である。
 考えてみるにこの年になってこれほどむちゅうになれるバウンドテニスに出会えたことが大変幸せなことなのかも知れない。


O奥島雅喜(退部)
  生年月日 若い  バウンド暦 4年
  ソフトボールの現役選手 練習日が重なり18年より退部。
  運動神経抜群、進んで熱心に練習に参加し着実に力をつけてきた。

  仕事が多忙のため休部

O箱岩正治(退部)
  生年月日 昭和39年10月21日  バウンド暦 26年
  運動神経抜群、技術向上のための指導助言は惜しまない。
  第19回全国大会フリー男子ダブルス選手権大会優勝 山口(木田)と
  仕事の関係か練習不足。しかし、明新クラブでは実力NO1?(自称)。やさしく明るい性格は皆から親しまれているが・・・・。

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
15年男組 箱岩 正治

ただ ただ早かったの一言です。10周年がついこの間の様で・・・しかも一つのスポーツでここまで長く続けられたのも「ビックリ」です。他のスポーツならここまで長くは出来なかったと思います。これは明新クラブのメンバーが面白おかしく時には厳しく 何よりベッピンさんぞろい?で飲み会も又楽しく最高のクラブ員の皆様達のおかげだと思います。ただベッピンさん達も年々お古くなり新しい若々しい部員さんが入部される事を・・・僕個人的には相棒の片岡氏と全国で一花咲かせたいかな?!フリーになるかミドルになるかシニアかも。そこまで続けられる様健康と美容に気を付けてがんばって行きたいと思います。30周年には髪の毛がある事と信じ周りの皆様が消えていないかが不安材料です。


O久保 貴弘(休部)(退部)
  生年月日 昭和 年 月 日  バウンド暦 5年


O田中(休部)
  生年月日 昭和 年 月 日  22年度新入部
  高齢のため休部


O半田 忠良(休部)退部
 
 生年月日 昭和 年 月 日  22年度新入部

O常田 紀章(休部)退部
 
 生年月日 昭和 年 月 日  22年度新入部
 
 ストロークがうまくなった 体が大きくよく動くので大変期待が持てる

O徳山和美(休部)
  バウンド暦 28年 (発足以来) 8代目クラブ部長20年〜21年
  日本協会公認指導員、同公認上級審判員、県常任理事
  県女子選手の中では第1人者。全国大会へは(第7回大会〜20回大
  会まで14連続出場)欠かさず出場している。
  第23回大会ダブルス出場 谷口(東安居)と
  又,人前で話したり意見を言ったりすることが堂々と出来て、的確で
 、初心者指導とか準備運動などのやり方は彼女の右に出る者はなく、
  県外の人にもその名は知られている。わがクラブの宝。
  頭脳明晰,正しい判断で物事を処理する。部員の信頼も厚い。
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
私にとってのバウンドテニス

「あなたの趣味は?特技は?」と聞かれたら、「バウンドテニスです。」と答えて20年。すばらしい生涯スポーツに巡り合うことができて、とても嬉しく思っています。初心者講習会に参加はしたが、あまりのへたさに自分でも「こりゃ、無理だ」と締めようと思いました。でもこれも何かのご縁でしょうか。仲間の励ましの一言と我子への手前、休む事なく続けて20年。今では私の生活の大事な、無くてはならない一部分になりました。静岡函南での近県交流大会で県外交流の楽しさを知り毎年の県外大会参加が病みつきになりました。楽しかった事は数えられない位経験しましたが、流行の「サーブ病」にも感染し、人の痛み辛さも実感出来ました。私の基となっている「明新バウンドテニスクラブ」をこれからも大切に、私の人生の豊かさの為にも、健康に気を付けて、仲間達と仲良く、飲み会には必ず参加して、ラケットが握れなくなるまで続けて行きたいです。少しでもお役に立てる様にしますので、これからも宜しくお願いしますね!

O池田さき子(退部)
  バウンド暦 28年 (発足以来) 
  自分の意見を人前で話すことが堂々と出来て、的確で軌道をはずさない。家族の介護などで練習時間は少なくなったが、楽しむためのバウンドテニスを仲間と続けている。
※バウンドテニス暦20年の思い出
 
バウンドテニスとの出会い
20年前、明新小学校での初心者教室でした。そろそろ下の子どもの子育ての手が離れ、何か健康のため 生涯学習スポーツに取り組みたいなあと思っていた頃の出会いでした。20年の間には自分の病気や母親の4年あまりの看病と、思うようには続けられなく途中休部も止む無く寂しいい時期ありました。でもスーパーの買い物途中などバウンドテニスの仲間の人達に出会うことがあり「あれ久し振りだね」「いつでもでておいでよ」と誘って貰ったり、足が遠のき練習に行くのが億劫になっていた私に温かい言葉かけにもう一度バウンドテニスがしたいという気持ちが抑えきれなくなり、また仲間に入れてもらうことにしました。現在はマイペースで仲間の人に申し訳ないのですが無理をしないで丁寧に続けて行きたいと思っております。

O太刀内久美子(退部)  
  バウンド暦 8年  休部中  日本協会公認審判員
  ストロークが良い形で出来るようになった。フットワーク等を練習に入れ
  てもっと正確に打てれば言うことはない。
  頭脳明晰でてきぱきと物事の処理が出来る。練習には早く来てコート
  の準備等を進んでする。

  仕事の都合で休部中

O坪田絹恵 (休部)(退部
  バウンド暦 12年
  21年度 会計
  テニスで身に付けた基本のストローク、ボレーは鋭く正確で群を抜いて
  いる。 サービスに自信を失っているがストロークの積りで打てば克服
  できる
  近い将来クラブの中心選手として活躍してくれるものと思われる。
  気立てが良く、心配りが繊細である

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
これからもよろしくお願いします

明新バウンドテニスクラブ20周年、おめでとうございます。私も早いもので、「バウンドテニス教室」を受講し、部員の皆様の親切さと、バウンドテニスの楽しさに惹かれ入部することになり8年が過ぎました。初めの1年間は、サービスも入らないし打てばコートのベースラインの遥か向うにボールが飛んでいってしまう有様でした。それでも部員の方々が、根気良く練習相手をして下さったお陰で今があると思っています。入部してしばらくして藤田さんに声をかけて頂きペアを組むことなりました。ダブルスを組んで初めての想い出は、東安居の☆☆ペアと試合をしたことです。僅か数分であっという間にゲームは終わってしまい、これでは「楽しくゲームが出来ない」と思い練習に励みました。まだまだ波があり思う様にはいきませんが、その時のことを思い出しこれからも楽しくバウンドテニスを続けたいと思います。明新バウンドテニスクラブが益々発展していく事を期待しています。

O東郷弘子(退部)  
  バウンド暦 10年 都合で退部(2006年)
  月曜会、水曜会、マーガレットでは活躍中
  ストローク、ボレー共に上手い。フットワークが生かされればさらに上を
  目指せる。
  物静かで人と争うことはない。理論派で研究熱心。協調性があり皆に
  親しまれている。

O林 律子  退部(2005年)・・・・)水曜会にて活躍
  バウンド暦 4ヶ月
  まだ始めたばかりだが鋭いボールを打つようになり、ボレーまでもする
  ようになった。もう少し練習時間があるといいのだが・・・。
  現役の高校教師。礼儀正しく振る舞い人との接し方にも礼節がある。

  仕事の都合で退部

O北田 玉枝 (移籍 順化クラブへ(2003年)
  バウンド暦 20年
  腰痛で足の捻挫もあり1年近く休部していたが、癒えて元気に練習を
  始めた。
  全国選手権大会フリーダブルスでは2度表彰台に上った実力者。
  今後大いに期待が出来る。 
  几帳面で責任感あり。


O臼井 暁美(移籍 千葉県)
  バウンド暦 2年
  ストロークが最近よくなってきた。ボレーも巧いし、近い将来大会でも頑張る存在になる素質が充分にある。千葉から家族の仕事の関係で引越してまだ間がないが協調性があり皆から好かれている。月曜会、水曜会の練習にも積極的に取り組んでいる。
  

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
福井での出会い

突然の夫の転勤で福井に引っ越して2ヶ月が経ちました。当初は住み慣れた土地を離れ全く知らない土地での生活に大変不安がありました。しかし人の出会いとは不思議なもので、夫の転勤先がバウンドテニスの盛んな福井、転居先はぐうぜん明新地区、たまたま訪れた婦人学級の公民館長が為国先生でした。
千葉でバウンドテニスを行なっていたこともあり、偶然にも明新クラブと知り合いだった千葉の仁科さんに紹介して頂き明新クラブに入会しました。
福井での初めての練習日は、午前中のやすみを知らずに北体育館に行ったお陰で山本さんと柳下さんに出会い、刈安山に山菜取りに誘われ山頂で素晴らしい景色を眺めながら美味しく食事をし午後からはバウンドテニスの練習を楽しむことが出来ました。
初めての福井にも関わらずバウンドテニスのおかげで多くの人と出会い、福井に来たことを今ではほんとうに幸せに感じています。
未熟ですがこれからも宜しくお願い致します。


O内山 悦子 (退部)
  バウンド暦 2年
  熱心にクラブ活動を行なう
仲間達と立派なラリーをできるようになった
  高齢のため殆ど出席しない

※バウンドテニス暦20年の思い出
 
今まで そして これから

O井上美佐枝 (退部)
  
バウンド暦 22年新入部
  熱心にクラブ練習に参加。フオームが良く仲間達と立派なラリーをできるようになった
  強力なメンバーになること間違いない。期待大。

※バウンドテニス暦
 今まで そして これから

O徳本 

O佐々木 

O山崎

O渡辺